記事・出版物 Articles & Publications リストへ戻る

064「庭は建物の装い、そして人柄の表現」(2018年12月号)

北米の家の印象は広々とした緑の芝生と花や樹木が植えられた庭のある風景の中にあると言うのが私の印象で、東京の下町で育った私には庭のある家といえば、町内の医者の家で塀に囲まれて覗くことも出来ないのでした。殆どの家は家の脇に鉢物を置いて季節を楽しんでいるのでした。

さて、ご存知のようにバンクーバーは世界でも美しい都市として有名です、それは緑の豊かさと明るい海のある街、季節の花々に彩られた街、美しい庭の中にある家々の街並みなどの風景が大きな理由かと思います。仮に家々の美しい庭が荒廃したり、家と比べて貧弱であったりしている様子を想像してみてください、いっぺんに街の景観は変わってしまいます。庭と建物は常に一体となって、どんなに建物が立派で美しくても、その周りを装う庭があってこそ建物は映えてきます。また廃屋のような建物が美しい花々や木々に囲まれておれば、それなりに絵の題材にもなりそうです。このように見ると庭という存在は建物に対して着物と言っても過言ではありません、装いと言ったほうがいいでしょう。人の装いはその人の人柄までも表現してしまうように、庭もその住人の人柄まで表現されているように見えます。私も造園、庭園管理の仕事を35年ほど続けておりますと、まさにそのように思えてきます。私のお客様でお友達同志のご夫人二人は性格も正反対、片やきっちり屋で家の中もモデルハウスのように見え、庭もご自分で毎日のように丁寧に掃除していますし、植木なども常にきっちり刈り込んでおります。その一方のご婦人はおおらかでファンタジックな装飾を好み、庭もチャーミングな装飾をして樹木もゆったりと自然ななりが好きなようです。まさに人柄が演出するそれぞれの好みの庭となっているのです。この方ばかりでなく、お客様とのお付き合いで分かったことは住人の想いは確実に庭の表情に表れてきます。

仕事の見積もりなどではじめて訪れる場合など、まず家の外観と前庭の様子などを拝見して、なんとなくどのような人かなと思い描きますが、おおよその予想が当たるようです。こんなにきれいな庭なのにまだ仕事を依頼するのであれば、かなりきっちり屋できっと家の中もきれいに整っているだろうなどと、またかなり手入れを怠っている庭などを目にすると、きっと忙しくて庭にまで手が届かない、おそらく家の中も雑然としていても「まだいいか」と、それらもやはり人柄のなすことと思います。きっと読者の皆さんもご自分の庭を考えたときに思い当たることでしょう。