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109「無駄について」(2022年12月号)
By Ouka Landscape&Design
無駄という言葉がありますがどういうものを想像されるでしょうか。
色々あると思います。
大量に散らかった生活用品から洋服、趣味、
必要だと思っていた過去に使っていた仕事道具や時間的な無駄や空間的な無駄も其々あり、まさに多種多様な事を連想されるのではないのでしょうか。
空間的な事で建築で言えば最初は欲しかった憧れの書斎が徐々に御子様の成長に伴い物置同然になってしまい、書斎の空間の無駄を御子様の部屋に当てたり、逆の御子様の成人に伴い憧れの書斎。なんてこともあるかと思われます。
どの程度の大きさまでいってもまた小さすぎても無駄というものは出てくると思います。
ようはその方にあった適材適所なのでしょうか。成長に伴い生活様式や趣向も変わるので難しいところです。
しかし知識の無駄となると話は違います。
当園は造園会社ですが、日本で修行していた時は自分の習いたい事よりもそれ以外の知識が多く触れることが多く、当時は必死にメモを胸ポケットに入れて親方の一字一句を見逃さないようにメモをとっていました。
当時は必死だった故自分の習いたくない膨大な知識が邪魔にさえ思えました。
人間の脳は自分の思っている以上に許容量があるそうですが、所詮人間です。
集中できない関心の無いことを詰め込められ自分が覚えたい事への知識の阻害となると思い危惧しておりました。
しかしいざプロとなってお施主様や他業者様と話す時、また新しい取り組みに伴う見識を広める時にも無駄だと思っていた自分の興味外の知識によって会話の幅が広まるのは勿論、勉強もその分野の知識が0よりも捗り易いのは言うまでもないと思います。
話は少し戻りますが空間にも同じことが言えます。
建築でも造園でも美しさや癒されると思う空間を作りたいのは共通していると思います。
そもそもその美しさや癒しの空間は生活的には決して必要というわけではありません。
なくたって充分生きています。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉にあるように本来はいらないと思っていたものをある程度の境地に立つと必要と感じたり必要となる訳です。
またある程度の立場になれば礼節や乗る車や服なども社会的な立場が求められます。
生活という観点から見れば無駄とはいうまで
も決して必要ではないものです。
しかし空間の癒しや美しさもそれに当たります。
癒しや美しさという生活に必要ないと思っていたものが社会的な余裕が出てそれを考えたり持つ余裕が出る事によって空間の美観は勿論、礼節のようにそのようなステップアップした空間を持つことを相応しくなってくるのではないのでしょうか?
毎日その事に従事している者とそうでない方には会話の中でも新しい発見があり納得できる事も発見もあるのではないのでしょうか。